人それぞれの食

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以前に、焦げ加減の牛肉のしぐれ煮が好きなことを書きました。
好きになってしまったのは、幼い時の母の料理下手から焦(こ)がしてしまう事が多く、
それがいつの間にか、懐かしい味に変わってしまったことも。
だから、ご飯のお焦げも中華料理のお焦げも大好きになってしまいました。
香ばしい匂いと少し固い歯ごたえがたまらないのです。
 
 お餅は必ず焼いたもの、それもちょっと黒く焦げ目があるものが良いです。
軟らかいだけの餅は頼りなくて。
大阪の雑煮は焼いて入れますから、好きになったのはその影響も大きいと思います。
もちろん卵焼きも焦げ目が付いたの、油揚げもそうです。
だし巻たまごは好きですが、軟らかすぎてオムレツみたいで・・・。
ですから目玉焼きは半熟ではなくて、裏返して両面が焦げ目が付くまで焼いてもらう
「ホットケーキ焼き」。
ステーキはウェルダン、切ると血がにじみ出て来るのは、かえって苦手です。
特にトースト。
きつね色がもう少し焼けて、少し茶色になっている、言わば「たぬき色」が最高。
表面と耳、そして中身までがサクッとしていているのが堪(こた)えられません。
ふわっとした高級食パンは不向き。
イギリス風の小さく薄い食パンが最適です。
 
 折角の本当に美味しいタイミングをわざわざ遅くして・・・と言われます。
こんな変わった嗜好は私だけと思っていたら、いつも行く床屋さんのご主人は面白い
飲み方をするらしく、笑ってしまいました。
飲み物は「チンチコチンにして」・・・チンチンの高温がいいと言うのです。
日本酒の燗(かん)が好きで、沸騰寸前のをフーフーして飲むとの事。
フーフーするくらいなら、ぬるい方が・・・と思いますし、アルコール分も飛んでしまうの
では。
寿司屋さんに行っても、ぬるかったら、電子レンジでもう一度チンして貰うとか。
コーヒーもそうで、喫茶店でぬるいのが出て来ると、そこでは言う訳にはいかず、
するそうですが気に入らない様子です。
自宅ではコーヒーを電子レンジで、2分半が沸騰する少し手前で、それがいいんだ
と満足げに言っていました。
家で抹茶を飲む時も、抹茶茶碗に熱々のお湯をなみなみと注いで、がぶがぶと飲
むのがよろしい様で。
和菓子を少しずつ頂きながらでも、茶碗を愛(め)でながらでもなさそうです。
 
 逆にビールは冷えていないのが好きらしく、店で「冷蔵庫に入っているのと、外に
してあるのチョ(ちょうだい)」と注文付けて、混ぜて飲むらしいです。
冷たいビールを飲むとお腹を壊すらしく、こんな可笑しな注文をしているそうです。
男はお腹が弱い人が意外に多くて、いかついオジサンがそんな事を言うのは、可愛い
です。
 
 旅行先のバスガイドさんが言っていたのを思い出しました。
関東、東海地方では肉まん、関西では豚まんと呼ぶ食べ物。
これを関西ではからしを付けて食べます。
中華料理のシュウマイの延長線上に、その存在を認めるのでしょうか。
山口県や広島県の人は酢醤油で食べるらしく、聞いて驚きました。
餃子からの発想なんですね、きっと。
 
 息子は、お菓子のジャガリコにお湯を注いで食べると美味いと言っていました。
原形が無くなって、マッシュポテトみたいなんですって。
何か気持ち良くないです。
牛丼屋さんに行くと、具にキムチを入れて混ぜます。
これにも違和感があります。
 
 母はハンバーガーが気持ち悪いと言って食べません。
パンとハンバーグは全く別の食べ物で、それを一緒にする事に抵抗があるようです。
かつ丼や牛丼は食べるのにねぇ。
世代間で、食べ物のあり方も違うことがよく分かります。
 
 大人になってから、もんじゃ焼きを初めて見た時は・・・なんとも形容し難い食べ物
だと思いました。
口に入れる物と言うより、出て来た物(失礼)と言う方が・・・。
でも食べると美味しくて。
焦げたもの好物の私にはぴったり。
 
 友人と行ったフィレンツェの有名レストランで出て来たリゾットを、友人は食べられま
した。
汁が殆どなくて、薄茶色のどろっとしたご飯。
それも具なし。
やはり、アレみたい。
それに粉チーズの匂いが強くて、私もちょっと気持ち悪かったですが、もったいなくて一
で食べました。
 
 嵐山光三郎が「文人悪食」で、執筆家の変な食べ方を記しています。
森鴎外の「饅頭茶漬け」。
ご飯の上にあんこ入り饅頭(まんじゅう)を乗せて、お茶を掛けるもの。
しることお茶漬けの両方が楽しめそうな、でも進んで食べたいとは思えません。
潔癖症の泉鏡花は、他人が触れた物がダメで、大根おろしを煮て食べたとか。
木村屋のあんぱん(銀座にある老舗のパン屋さんで、あんぱんを発明)を火であぶっ
てから、他人が触った部分はつまんで捨てたらしいです。
高校の恩師が言っておられた、10本の指にセロハンテープを巻いて授業を受けていた
生徒の話を思い出します。
机や椅子、他人が触ったものが不潔で我慢ならないのでしょう。
逆に鼻くそを机に塗りたくっていた同級生がいたと、家内が給(のたまわ)っておりました。
 
 どんどん話が尾籠(びろう)になって来ましたので、この辺りで筆を置きます。
人それぞれ、やはり好みが違っていて面白いと思います。
先ずは「頂きます」と、ありがたく思って食べたいですね。

いつまでもチャレンジ!

スポーツ

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常滑のアイアンマンの大会を見ました。
泳いで、自転車、そして走る、あの大会です。
自分にはとても出来ない事に、チャレンジしている人たちを見たいと
って行きました。
朝は薄曇りの天気で、そう暑くなく観戦日和です。
 
 調べると「アイアンマンレース」はWTC(world Triathlon Corpora-
tion)が定めた商標登録だそうで、大きく言うとトライアスロンです。
知名度が高いので、世界各地で開催されるようです。
「アイアンマンシリーズ」はスイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km
(フルマラソン)。
「アイアンマン70.3」はその半分の1.9km、90km、20.0975kmで、「ハ
ーフアイアンマン」とも呼び、合計70.3マイル走るので、この名前が付い
たとの事。
 
 今回はその70.3です。
1,500人以上の参加者。
正式には「アイアンマン70.3セントレア常滑(とこなめ)ジャパン」。
名古屋南部・常滑沖に出来た中部国際空港の通称(愛称?)をセ
トレアと言いますから、この大業(たいぎょう)なネーミングになったと思
います。
半分と言っても、25mプールを38回分を往復して約2キロを泳いで、
屋から京都までの距離を自転車で駆けて、それから名古屋-安
(名古屋市の衛星都市)間相当20キロ以上を走るなど、私には
とんでもない事です。
それも一日で。
 
 知多半島にある焼き物の町・常滑市内全域を縦横無尽に使っての
この技、「大業な」と書きましたが、中身の濃さを考慮すると、
でも何でもないかもしれません。
 
 東京の従弟(いとこ)はフルマラソンを時々走るようだし、仕入れ先の
営業担は毎日10キロをランニングしているとか。
それだけでもスゴイのに、天文学的な距離(?)を続けて走るなど、キチ
イ沙汰。
チャレンジしたとしても、最初のスイミングで挫折するだろうなぁ。
海水浴場のロープから勝手に外に出て、波の荒い沖で海水を飲んで
しまい、冷たい海流に慄(おのの)いて、パニックになりかけるようではね。
遠泳で2,3キロは泳いだ事はあるけれど平泳ぎ。
クロール、しかも海で・・・試した事もありません。
 
 強者(つわもの)は全部の行程を4時間位で完走するらしいです。
泳いで20分、自転車2時間半、走って1時間強というところでしょうか。
一般人として計算すると、スイムを時速4キロで30分、バイクの時速を
20キロ強として4時間、時速8キロで走って2時間半、合計7時間。
ロスする時間も入れて、7時間半くらいで走れても計測してもらえる限界
です。
 
 泳いで浜に上がり、自転車のある場所に駆け寄り、自転車に乗るま
でを、見られる所で待ち構えていました。
スタートして約20分で、最初のグループが上陸。
招待選手やプロでしょうが、すさまじい早さ。
続々と来るのは外国人、続いてようやく日本人選手。
やはりマッチョな身体してます。
 
 速い選手の自転車や装備は全然違う。
ヘルメットはエイリアンの頭か、平安時代の烏帽子(えぼし)のような後ろ
にニョキっと長い物。
タイアのスポークはなくて、一枚の皿の形。
フレームの断面は、おそらく円ではないですね。
ストローを潰した楕円形。
カーボン繊維か何かで作られているのでしょう。
ヘルメットやフレームは風の抵抗が少なくなるのは分かりますが、あのデ
ィッシュ形のタイアは、横から風を受けると操舵しにくいと思うのですが。
タイアも細いの、細くないのって。
驚く位軽くて、高価なんでしょうに。
ママチャリしか知らない私の認識不足でしょうが、時代は変わったものです。
 
 そう言えば、駐車場で見かけた東京ナンバーの小型アウディのオジサン
は、り畳みの自転車でしたよ。
(それも、外でスッポンポンになって着替える物だから、隣に停めようとしてい
た女性はビックリ。)
レース用でも折り畳みがあるのかもしれませんが、ロ用ではないはず。
車のサイズを考慮してでしょうか、折り畳み自転車で走る姿は可愛らしい
気がします。
 
 バイクコースの30キロほど走った場所に移動しました。
登りでカーブの手前。
待つ事20分、先頭が走って来ました。
やはり外国人2名。
目が合ってしまいました。
涼やかな目でした。
それから待つ事15分、ようやく3位以下がやって来ました。
ウエアはプロ、アマ関係なくピッチリした派手め。
機能優先ですが、あれも美的センスで違って来ますね。
腕にゼッケンナンバー、太ももにプロや年代を表すカテゴリーが書かれていま
す。
かっこいい!
 
 時間を追うごとに、続々とやって来ます。
皆さん、上り坂を頑張って漕いでいます。
沿道に人たちも、手をたたき、「頑張れ!」と声援を送ります。
あの長い距離を走り抜けて来たかと思うと、思わず大きな声で応援したくな
ってしまいます。
通り過ぎる人全員に、声掛けをしようと決めました。
禁欲的にも映る、前だけ見つめる人、黙々と漕ぐ人、きつさにひたすら耐えて
いる人、笑顔で応える人、頭をぴょこんと下げる人と様々です。
自分だったら、集中が途切れるから声を掛けないでくれと思うかもしれまん。
「ありがとう!」、「ありがとうございます!」や「イエィ!」と応えてくれる人も大
勢いて、こちらも嬉しくなります。
同時に、「大変なんだから、答えんでもいいのに」とも思います。
でも応えてくれると、次の人に一段と大きな声で励ましてしまうんです。
200から300台が通り過ぎるのを見たと思います。
 
 午後からランニングを見ました。
ゴールの3キロくらい手前の堤防。
近くの人に尋ねたら、もう100人は通過したとの事。
スタートに時間差があって、なおかつリレーで走っている人もいるので、一概
には言えませんが、全コースを走り、このまま順調にゴールしたとすると、5時
間半くらいの人たちです。
懸命に走っています。
ひたすらゴールに向かって走ります。
鍛えた身体が太陽にさらされて輝いています。 
豆絞りのはちまきをした人がいて、現代風のランニング・ウエアとのギャップが
印象的。
「はちまきぃ!いいぞ!頑張れ!」と声を掛けました。
薄いブルーの水玉模様のウエアの男性選手もいて、カルピスの包装を連想。
いかつい身体に、可愛い柄も好印象でした。
自転車の時には気付かなかった女性も数人を発見。
大したものです。
  
 やはり余裕がある表情は少ない。
こちらの声援も大きくなります。
もう自分も走っているつもり。
走る姿もぎこちなく、今にも壊れてしまいそうな格好で走っている人も。
それでも応えてくれる人もいます。
笑顔の人もいます。
手を上げて応える人が多いのも意外です。
「偉いなぁ」と心底、思いました。
 
 大会結果をネットで見るとリレーは別として、1位、2位は外国人選手、あの
時に目があった人です。
タイムは4時間3分代。
もちろんプロでした。
1位と2位との差はわずか2秒。
4位に、プロではない日本人がで4時間18分。
10位まで外人が6名。
20位までは10人が外国人。
31位にプロではない沖縄の日本女性がいました。
4時間37分。
42位に香港の女性で、4時間41分。
計測した中位の600位のタイムは5時間53分。
計測最後は1273位の7時間54分。
完走者の最後は1535位、女性で60代。
本当に立派です。
 
 若かったら、チャレンジしてみたかった。
沿道観戦の隣の人に話していたら、経験者で、あの達成感がたまらないと言っ
いました。
精神と肉体を鍛えて、他人との、そして自分との戦いです。
努力をしても、そう簡単には報われない。
それが現実です。
でも走るのです。
辛くても、楽しくても走るのです。
 
 今回、感じたのは応援する方が励まされるという事です。
実は自分自身に声援を送っているのかもしれません。
色々あるけど、行きたい所に、とにかく行こう!
ああだ、こうだと、あまり考えずに行こう!
大きな声を出して、元気になって帰宅しました。 



           
                                           

ルーツを知る

歴史

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 自分のルーツを知りたくて、調べたことがあります。
祖先に有名人も文化人もいません。
由緒正しい家ではないとは思いますが、自分の血はどのように形成されてきたかは興味のあるところです。
これが面白かったのです。
 
 私には血がつながった父と育ててくれた父がいます。
母が再婚したからです。
二つ父の系統、それから母の系統を調べました。
方法は親戚の話と戸籍謄本です。
寺の過去帳という手もあるのですが、それまでは及びませんでした。
 
 父は二人とも亡くなっているので、また親戚との付き合いもなく、情報は謄本のみ。
血のつながった父は和歌山の白浜に近い日置(ひき)、育ててくれた父は長崎県の五島列島生まれです。
よく分かりませんが、田舎で代々百姓をしていたようです。
「山川」という苗字が示すように、自然の中で働いた、やはりお百姓さんかぁ!
「お代官さまぁ!お願げぇしますだぁ」と年貢を納めるのに苦労をしていた、水飲み百姓を思い浮かべてしまいます。
 
 母方は大阪にその根っこがあり、府内にすんでいる親戚もあるので、情報も多く、謄本も空襲で消失していなかったので、約190年前(西暦1826・文政9)までさかのぼれました。
江戸時代の末期には市内の谷町(中央区谷町)に居を構えていた様です。
谷町は芸能界のあの「タニマチ」の元になった町ですが、芸能と町とは関連はなさそうです。
この地は大阪城の南西、船場の東にあたり、大阪城の外堀付近です。
近くには浪速の宮跡、近松門左衛門のお墓があったりします。
一部は武家屋敷もあったようですが、多くは町人の町です。
 
 謄本では職業までは分かりません。
私から五代前(西暦1845・弘化2)は既に谷町に住み、谷町や堂島あたりをうろうろとしていた様なので、町人か商人だと思います。
嫁も近くの十二軒町という所から貰ったり、南の阿倍野に娘が嫁いだりしています。
「ええ天気どすなぁ」と揉み手で話す浪速の商売人が、他人が見る自分のイメージに近いかもしれません。
 
 家に男子が生まれず、奈良から養子を迎えた時代がありました。
私の祖父(明治33生)です。
天理の南の柳本という土地から、生まれて数か月で来ました。
奈良から嫁を迎えた時があり、親類が柳本にいたのでしょう。
自分が50代になってから、祖父の生家を突然、訪問して、先様を驚かせた事もありました。
 
 谷町筋(すじ・「筋」は南北の道、「通り」は東西の道を大阪では指します。ニューヨークのストリートとアベニューみたいなもの)は明治維新後には、軍需用の制服製造の店や問屋があった場所です。
先祖も軍用のカバンを作っていました。
太平洋戦争前までは、そこそこ儲けた様です。
母はお手伝いさんがいる家で育ちました。
ところが戦後は没落します。
戦中に兵庫に疎開し、大阪に帰って来たら、戦後のどさくさで土地が人手に渡ってしまいました。
おまけに、接着剤「にかわ」を使っていたのですが、化学のりが現れて、上手く切り替えられなかった様です。
時代に乗れなかったんですね。
 
 戦前、戦後の食うや食わずの毎日。
子どもたち(私の親の世代)は貧乏と戦いながら、ほとんどがサラリーマンになりました。
今やその子孫たちは、大阪に残っている者もいますが、神戸、東京、遠くは沖縄、そして名古屋(私)へと、ちりちりに分かれて暮らしています。
 
 ルーツを調べてみると、良い事ばかりではありません。
あちこちと外で子どもを作った先祖、親子が夫婦として戸籍に上がっていたり、知らなくて済んでいた親の過去も目の当たりにします。
叔父に「何でも調べることが、お母ちゃんを喜ばせることにならへんでぇ」と叱られました。
まさしくです。
 
 江戸時代では下層の立場、明治以降も庶民だったかもしれませんが、血が何代も続き、現代まで途切れずにいるだけでも大したものだと思うのです。
世の荒波に揉まれながら、家庭を作り、子どもを育て、働いて来たのです。
大望など関係なく、社会の底辺を懸命に生きて来たのです。
庶民の歴史がそこにあります。
  
 この4月に東大阪に住む叔母が逝き、久しぶりに親類に会いました。
若い時にはそんなに魅力的に感じなかった親類縁者が妙に懐かしく、再会が楽しみでした。
「久しぶりやんか、どうしてたん?」葬儀場で賑やかに再会を喜ぶ大きな声は、場所に似つかわしくはありませんから、親戚以外の人たちは驚いた事でしょう。
大阪らしい小気味が良く、洒落の利いた会話とあっさりとした気質は母方の性質(たち)です。
「血は水よりも濃い」と言います。
少々出来が悪くても、お互い親戚同士。
言わずとも心が通ずるところが何とも言えません。 
この共有感を大切にしたいと思うのですが、これからどうなるのやら。

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